Monologue: August 22 2011

 
斉藤哲郎さんを偲ぶ
 
お盆は「プロジェクト FUKUSHIMA!」の手伝いのため福島市に滞在しました。
その福島から戻った翌日、
8月初めに亡くなられた斉藤哲郎さんのお宅へ伺い、お焼香をあげてきました。

斉藤さんは美術出版社にお勤めだった方で、2年前までは『美術手帖』の編集員でした。
初めてお会いしたのは斉藤さんが『美術手帖』に所属していた2007年のことです。
私が企画に参加した「《写真》見えるもの/見えないもの」の展評の取材にいらして、
評者の鷹見明彦さんも加わり、会場をご案内しました。
この折、翌月号の『美術手帖』の展評欄に
「大辻清司の写真 出会いとコラボレーション」の展評を掲載する事が決まっているので
その原稿を依頼するかも知れない、と斉藤さんが私に仰いました。
私は「《写真》見えるもの/見えないもの」で会場構成から物故作家の作品選出の大半を担当しました。
その説明ぶりが斉藤さんの目に留まったようで。
「私は評論家じゃないので、なるだけ他の評者候補の方を優先的にお選び下さい」
と申したのですが、数日後、結局私に依頼が来たのでした。

「大辻清司の写真 出会いとコラボレーション」は同時期に渋谷区立松濤美術館で開催された、
光田由里さんによる企画展です。
写真研究の第一人者であられる光田さんが企画した展覧会に対して私が物申すなんてとんでもない事態。
まして大辻さんの作品に触れなければならない訳ですから。
いやはや、にわかに大変な思いをしました。
締め切りまで残り少なかった上に、展覧会も会期末に至っていました。
取り急ぎ私に出来る事をと、
誌面用の会場写真を撮りに台風の中を8×10かついで松濤美術館へ伺い、
撮影と取材を行いました。(ちなみに斉藤さんは所用で同行していません。)

光田さんとは、実は「《写真》見えるもの/見えないもの」で大辻さんの作品の借用にご協力頂いたり、
図録へのご寄稿とシンポジウムへのご出演を頂いていたこともあり、
「大辻清司の写真 出会いとコラボレーション」の準備段階からいろいろお話を伺っていましたから、
何を質問すれば良いかはある程度理解していました。
ほかにも大辻さんの著書『写真ノート』を所持していましたので、
光田さんと大日方欣一さんが編んだ図録と併せ、それらをくまなく読むことで、
私なりの文章を組み立てることができました。
(誌面のレイアウト案までイラストレーターで作成し、余計に右往左往しながらの模索でした。
勿論、レイアウト案はデザイナーさんに却下されましたが。)

入稿して、斉藤さんの校閲後に返ってるゲラの文面は、大幅に語気を変えられたものでした。
戸惑いつつも、でも斉藤さんがメールに添えたコメントは私の文章を評価しておられるので、
めげずに推敲を続けました。
恐らく4、5稿ぐらいはやりとりしたと思います。
http://school.bijutsu.co.jp/bt/200709/

いや、当時は時々不快に思ったことは確かです。
でもある時知り合いから
「編集者は直して当然であって、むしろ書かせたい人に書かせたい内容を書かせるのが本来の編集者だよ」
と教えられました。
斉藤さんは僕の展評に本気で取り組んで下さったのだと、その時ようやく気づいたのです。

以来、展覧会場などで斉藤さんを見かける度にお話しするようになり、
多くの機会ではなかったのですが、気持ちの上で親しくさせて頂きました。
斉藤さんは同じ72年の生まれで、生まれ月(3月)ごと同じでした。
そして娘の年齢も同じ。
様々に共有できるところがありました。

一昨年の夏、体調を崩されたと聞きました。
後で腫瘍が見つかったのだということも知りました。
(この休職の以降に『美術手帖』から外れてしまったようです。)
退院後の10月、藝大美術館での「異界の風景」のレセプションで久々にお見かけした斉藤さんは
非常に痩せこけていて、その姿にかなりのショックを受けました。
今思えば、そのような体調にも関わらず外出なさった訳は、
「異界の風景」が鷹見明彦さんの企画構成による展覧会だったからだと理解します。

斉藤さんが美術出版社に入社なさったのは2001年。
配属された『美術手帖』では「画家たちの美術史」を担当なさいました。
この記事の初期を寄稿なさったのが鷹見明彦さんで、
鷹見さんは美術誌に不慣れだった斉藤さんをいろいろお世話したようで、
斉藤さんはその恩を通しておられたのだと思います。

今年3月の鷹見さん訃報の折、斉藤さんから私に偲ぶ会のお知らせの電話を頂いたのが、
斉藤さんとの最後の会話となりました。

斉藤さんは死の淵に居ながら、
お世話になった方が亡くなられた際はご自身を棚上げして故人を気遣っておられました。
渡辺好明さんが亡くなられた時も、極寒の藝大取手校地での偲ぶ会に斉藤さんは列席していました。
斉藤さんにとって「死」は、いずれ近々、引き受けることになるかも知れない境遇でした。
斉藤さんは身近な方の「死」を見つめることで、
ご自身の不安を和らげていたのではと私は思うのです。

とても聡明なお方でした。
もっと永く関わりたかったです。

斉藤さんとは短い間でしたが、生涯忘れ得ぬ出会いと別れになりました。
心から感謝します。
ご冥福をお祈り申し上げます。
 


 
 

This entry was written by shiigishizune , posted on Monday August 22 2011at 01:08 am , filed under Monologue