Monologue: May 31 2011

 
《反》を唱える
 
台風が来て、気圧の変化からか喘息になり体調を崩しました。
さして何もしていない日々なのに、更に身体まで儘ならないでいると、
自身の無能さが際立ってきて情けなくなります。
こういう時に限って何の打開にもならない考えごとに耽ってしまうので、
余計にたちが悪いです。

そんなこの数日、《反》について考えていました。
例えば、戦後日本の美術家達が《反》にこだわった理由について。

《反》は否定の姿勢。
大義はどうあれ、民衆の生活になんら恩恵のなかった戦争は、
戦後になって否定しなければならない過去になりました。
広島、長崎で起きたことは屈辱的な壊滅だった訳で、
《反》はそれを知る民衆の責任だったのではないでしょうか。

その時代に居なかった私が知ったようなことを言いますが、
でも最近、その幾らかは分かるようになりました。
今、再び《反》を唱えなければならないように思うのです。

その前の問題として、私の身体の具合のだらしないことときたら。
 


 
 

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Monologue: May 21 2011

 
景色のいま
 
今日は被写体探しにと、自宅の付近を歩きました。
ここに住まいを移してから、所用の移動以外で巡ったことがなく、
前から気になっていた辺りを見てきました。

鎌倉街道跡の傍らにある三貫清水という古池。
由緒の割に綺麗でないと聞いていました。
確かにあまり綺麗ではありません。
眺めながら、一旦は却下かなと思ったのですが、
しばらく考えて、むしろ今だから撮ろうかなと思い始めています。

私の住まいの辺りは震災の被害が殆どありませんでした。
放射能による家族への影響の心配が漂っていても、
景観の中に変化は見受けられません。
だからと言って、私が特別に変わってしまうのも違うように思うのです。

今だからこそ「いま」をありのまま引き受けるという選択から。
 


 
 

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Monologue: May 7 2011

 
きこえないおと
 
3月19日はイヴェントを開く予定でした。
10年勤めた大学の在職最後の記念にと、音を主体に企画しました。
http://dazzling-garando.com/event/flier.pdf

ところが前の週に震災が起きてしまい、随分悩みましたが、
結局中止にしました。(気持ちとしては無期延期のつもりですが。)

19日はよく晴れた行楽日和になり、
一部の美術館なども再開したので、界隈は久しぶりに賑わいました。
する事なく自宅に居た私は強い敗北感に襲われました。

学内の企画が全て中止になっていましたから、
実施の選択はどのみち難しかったのですが。
ただ正直なところ、震災が起きて平常ではなくなってしまったことで、
その状況までも背負うことができなかったというのが本音です。

私が美術家としてやろうとしていることは、
災害に対峙する自身の意識の確認ではなく、その表明でもなく、
あくまで社会の事情からのまったくの飛躍です。

芸術は災害を速やかに治すことができません。
芸術はこういう時ほど時間をかけるしかないのです。
 


 
 

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